1990年代から2000年代にかけて、「美少女ゲーム」というジャンルはオタク文化において「ひとつの時代」を築いていた。青春であり、奇跡であり、芸術であり、人生だった。 魅力的な美少女キャラクター、泣けるストーリーは多くのユーザーを夢中にさせ、「泣きゲー」というジャンルが社会現象になるほど。メディアミックスも盛んに行われ、「18禁ゲーム」の枠を飛び越えて熱狂が広がっていった。 そのムーブメントの中心を担っていた存在として美少女ゲームブランドの「Leaf」、そして「Key」の名をあげて、異論のある方はいないだろう。 (画像はLeaf公式サイト、Key公式サイトより) 両ブランドは、熱狂的なユーザーの中では「葉鍵」と呼ばれ、コミケでも「Leaf&Key」がいちジャンルとして取り扱われた歴史がある。 『ToHeart』、『WHITE ALBUM』、『うたわれるもの』 『Kanon』、『AIR』、『CLANNAD』 当時、「Leaf」、「Key」が世に送り出した美少女ゲームは、今もなお語り継がれる名作ばかりだ。「Leaf」設立から今年(2025年)で30年を迎えるものの、その輝きは色あせない。 そして、多くの美少女ゲームブランドが立ち上がったのもこの時代だった。Leafの髙橋龍也氏、Keyの麻枝 准氏、TYPE-MOONの奈須きのこ氏、ニトロプラスの虚淵玄氏など、現在でも活躍を続けるクリエイターたちが美少女ゲーム業界に集っていたように思う。 まさに「黄金時代」と言える「この時代の美少女ゲーム業界が起こした熱狂」とはなんだったのか。 美少女ゲームが築いた「ひとつの時代」に迫るべく、今回はその時代の最前線を駆け抜けたふたりのクリエイターをお迎えした。 ひとり目は、1995年に美少女ゲームブランド「Leaf」を設立し、『ToHeart』や『WHITE ALBUM』、『うたわれるもの』シリーズなど数々のヒット作を手がけてきた下川直哉氏。現在は株式会社アクアプラスのエグゼクティブプロデューサーである。 もう一方は、下川氏とともに「Leaf」立ち上げに参加し、のちにビジュアルアーツにて美少女ゲームブランド「Key」立ち上げメンバーとして参画、『鳥の詩』や『Alicemagic』などヒット曲を世に送りだしてきた折戸伸治氏である。 折戸伸治氏(左)と下川直哉氏(右) 本対談では、「Leaf」設立当時にどのようにゲームを作っていたのか。なぜ「Leaf」、「Key」の両ブランドがここまで音楽に注力したのか。そして、時代を経るごとになにが変わっていったのか。 また、『ToHeart』主題歌の『Brand-New Heart』、『AIR』主題歌の『鳥の詩』が作られた当時の制作エピソードはもちろん、高校時代に音楽仲間だったふたりの創作活動や私生活についてもお聞きしている。 当時の美少女ゲーム業界における生き証人のようなふたりの対談をぜひ楽しんでいただきたい。 また、本記事内では、おふたりが携わった作品の楽曲をSpotifyのシェア機能を使って挿入している。音楽に耳を傾けながら読み進めていただくのも一興だろう。 聞き手/TAITAI・川野優希 編集/竹中プレジデント 撮影/鶴身健 ## 美少女ゲームが築いた「ひとつの時代」をLeaf、Key創設メンバーとともに振り返る ──今回の対談では、2000年代前後の美少女ゲーム業界の熱狂について、当事者であったおふたりの目からどのように見えていたのか。Leafの立ち上げ時から、『ToHeart』が起こした「ボーカル入り主題歌」の衝撃や『鳥の詩』の大ヒット、「泣きゲー」が起こしたムーブメントなど、お聞きしていければと思っています。 折戸氏: いやぁ……当時はゲームの曲を作れることが幸せで、なにも考えていなかった気がしますね(笑)。 下川氏: ゲーム作りが楽しかったよね。仕事をしている意識はなかったと思う。 折戸氏: そうそう。他にすることがなくて、ゲーム作りしかしてなかった。仕事場に行ったら誰かしらがそこにいるから、雑談しながら仕事をする……みたいな環境だったよね。 僕なんかは、オフィスの上の階に自分の部屋を借りていたので、起きてから寝る直前まで仕事をしていました。 ──当時、美少女ゲーム業界では次々とヒット作が生まれていましたが、業界全体における変化についてはなにか感じられていましたか? 下川氏: あくまで個人的な感覚ですが、美少女ゲーム業界に光が当たりだすひとつのきっかけにうち(Leaf)があって、決定的なものにしたのがKeyの「泣きゲー」だったような気はしているんですよね。 それまでの美少女ゲームは「アダルト要素」がメインだったのだが、「エロゲーだけど感動するし、おもしろい」といえる作品が受け入れられる世界観ができたあと、それを最大限に活かして昇華させたのがKeyで。そこからTYPE-MOONの奈須さんやニトロプラスの虚淵さんのような方々に繋がっていったんじゃないかなと。 折戸氏: 僕は『ToHeart』にボーカル入りの主題歌がついていたのが衝撃的でしたね。正直、あの主題歌を聞いたときは「めっちゃ嫌な流れになりそうやな」と思っていました(笑)。 下川氏: 嫌なんかい(笑)。 ──それってどういうことですか?(笑) 折戸氏: 自分は、作曲で「打ち込み」しかやってきてない人間だったので、歌のレコーディングは経験したことがなくて、すごく敷居の高さを感じていたんです。 なので、『ToHeart』を皮切りに「美少女ゲームには歌がつきもの」というのが主流になったら困るなと。 下川氏: いやいや、僕だって『鳥の詩』が出たときは「腹立つわ~」って思ってたからね(笑)。うちから出て行ったあとに当てとるな~って。 折戸氏: あれはほんと、タイミングやね(笑)。 下川氏: でも本当にいい曲でした。曲が流れて数秒で心が掴まれる。キャッチーだけど、どこかに憂いがあって、切なさを感じさせるメロディーが頭から入ってくる。グッとくるんですよ。いい曲すぎて悔しかったですね。 ──下川さんと折戸さんは高校時代からの音楽仲間で、アクアプラスの前身となるユーオフィスの立ち上げメンバーでもありました。その後、折戸さんがその会社を辞めて、それぞれ別の道を進んでいくことになるわけですよね。 折戸氏: そうですね。当時は給料が10万円もいかないくらいだったので毎月赤字続きで、高校時代にバイトをして買った機材を売って生活費を捻出していたんです。1年ほどそういった生活が続いて「もう無理だな」と。 実際にバイトを始めたら、給料が倍以上になって「これは……!?」と驚いたことは今でも記憶に残っています。 下川氏: 『DR2ナイト雀鬼』から始まって『Filsnown』、『雫』、『痕』と作っていったんですが、折戸は『雫』まで一緒でした。正直、『雫』までは生活的にかなり苦しかったですね。 ──ヒット作を生み出す裏側にそんな苦労があったとは……。本日は当時のおふたりがどのように生活していたのかも含めて、お話をうかがわせてください。 ## 下川氏、折戸氏は高校時代からの「DTM好きの音楽仲間」だった ──下川さんと折戸さんは、一緒にゲームを作る前からお知り合いだったとのことですが、おふたりが出会ったのはいつごろなのでしょうか。 下川氏: 初めて会ったのは高校時代ですね。僕と折戸、あと今でもうちで音楽を担当している石川(真也)と中上(和英)で、DTM好きの集まりのようなものがあったんです。 折戸氏: 当時、下川が「パソコン通信」【※1】で音楽系のBBSを立ち上げていて、そこにアクセスしてきた音楽好きの人たちと交流が深まっていった……というのが最初のきっかけですね。 ※1……インターネットが普及する以前に使用されていたネットワーク。電話回線を使って接続されていた。 ──「DTM好きの音楽仲間」が原点にあるんですね。 下川氏: みんなゲームも好きで、「ゲームミュージック好き仲間」でもありました。古代祐三さんが作った『ミスティ・ブルー』や『ザ・スキーム』、『イース』、『ソーサリアン』などの曲が群を抜いて人気だったと思います。 折戸氏: 耳コピした曲を自分流にアレンジしてみたりとかね。 下川氏: そうそう。週末に僕や中上の家に集まって、曲をアレンジしたり、曲を書いたりして遊んでた。作ると言っても、本当に子供だましみたいな曲でしたけどね。 ──おふたりの高校時代というと、1990年前後ですよね。当時におけるパソコンでの音楽編集環境はどのようなものがあったのでしょうか。 折戸氏: 「MML(ミュージック・マクロ・ランゲージ)」というプログラミング言語のようなものがありました。「ド」なら「C」、「ラ」なら「A」と文字を打ち込むことで音楽を作っていくんです。 「レコンポーザ」という、MS-DOSで動く音楽制作ソフトがあって、みんなそのソフトを使っていたので、ファイルを持ち寄って交換して聞いていましたね。 ──当時、プログラミングの分野ですと、雑誌の「I/O」のように自作プログラミングを投稿するような場があり、コミュニティが掲載されていましたよね。DTMの分野でそういった実績を積んでいくような場所ってあったんでしょうか。 折戸氏: そういった雑誌もあったとは思うんですが、自分たちのコミュニティでは投稿しようという動きはとくにありませんでしたね。 下川氏: 恐らくですが、そういった雑誌はプロの音楽家向けのもので、ゲーム寄りのものじゃなかったと思うんですよ。 僕としては「ゲームの会社に入って、ゲームの音楽を作りたい」というモチベーションだったので、そういった雑誌に投稿するというのは考えなかったですね。折戸はそもそもゲーム音楽を作って食っていこうとは思ってなかったよね? 折戸氏: そうだね。興味はあったけど、それで食べていけるとは思ってなかったかなぁ。 ──そんなおふたりは、高校を卒業したあとはどのような進路を歩まれたのでしょう。 下川氏: 僕はプログラミングを勉強するために専門学校に進学しました。勉強はせずに音楽ばかりやっていたんですが……(笑)。折戸はなにをしてたんだっけ? 折戸氏: 銀行系の会社に入ってプログラマーをしていました。 ──それぞれ進学や就職をされていったと。高校時代のコミュニティはそのあとも続いていったんですか? 折戸氏: 続いてはいましたが、学生時代ほど頻繁に集まることはなくなったと思います。 下川氏: 仕事をしだすと、なかなか学生のようにはいかなくなりますよね。 ## ゲーム音楽好きな仲間が集まって「Leaf」が立ち上がった ──それぞれ環境も変わって、高校時代ほどの交流はなくなっていったと。でも、そこからおふたりは「Leaf」を立ち上げて、ゲームを作っていくわけですよね。 下川氏: 僕はその後、「TGL」【※2】に在籍して「TGL」や「戯画」【※3】などの作品のサウンドを担当していました。ただ、1年足らずで辞めて、音楽制作の会社を立ち上げることになるんですが、そのときに「一緒に会社をやろうよ」と折戸に声をかけたんです。そのときに設立したのが「有限会社ユーオフィス」でした。 ※2……日本のゲームデベロッパーで、現在の「株式会社エンターグラム」の前身。 ※3……「株式会社エンターグラム」が擁していた美少女ゲームブランド。 折戸氏: そうそう。当時はまだ20歳くらいで若かったのもあって、なにも考えてなくて。サンプル音源すら持たずに、身体ひとつで乗り込んで「飛び込み営業」のようなことをしていました。 ──えっ、サンプル音源なしで飛び込み営業ですか!? 下川氏: ええ。「僕たち音楽作れるんですよ、仕事くれませんか」と、営業のようなことをしていました。 でも、世の中すごいのは、20歳の若者が何も持たずに「仕事をください」という営業に対して、仕事をくれる人がいるんですよ。一応「TGL」での実績はあったので、その影響もあったかもしれませんけどね。 ソフマップさんから仕事をもらっていたんですが、MIDIの機材に付属するMIDIを勉強するためのサンプル曲の打ち込みデータを作っていました。Mr.Childrenの『innocent world』や篠原涼子さんの『恋しさと せつなさと 心強さと』などが記憶に残っています。 ──当時、折戸さんは銀行系の会社に在籍していたわけですよね。下川さんからの誘いには悩んだりしなかったんでしょうか。 折戸氏: 下川から誘われたときには、もうその会社は辞めていたんですよ。フランチャイズ系のゲームショップでアルバイトをしていました。ですので、身軽だったこともあり「おもしろそうだからやってみよう」といった感じで、迷いはなかったですね。 ──飛び込み営業をして、音楽の仕事をもらっていた状態から、ゲーム会社としてゲームを作っていくようになった流れというのはどういったものだったんでしょうか? 下川氏: じつは、会社を立ち上げた当初から「ゲームを作る」という目的はありました。僕たちは「音楽家」というより「ゲームミュージック大好き人間」だったので、はじめからゲームを作る前提で人集めをしていました。 声をかけた人たちが集まるまでタイムラグがあったので、その間は営業をして外注の仕事を受けていたわけです。それに、外注で音楽を作っても1曲数千円や1万円なので、それでは食っていけない。だから外注で音楽を作っているときも、ゲーム制作に向けて人集めをしていましたよ。 ──スタッフはどのように集めていったんでしょう。 下川氏: ほとんどが知り合いの紹介ですね。サウンドは高校時代の仲間でしたし、『WHITE ALUM』でイラスト担当したカワタ(ヒサシ)、『Filsnown』でイラスト担当した水無月(徹)は前職場の同僚で、その水無月が「良いやつがいる」と紹介してくれたのが『雫』の脚本を担当した髙橋(龍也)でした。 募集をかけて人を集めるようなことをしたのは、『ToHeart』以降だと思います。それまでは知り合いの人たちに「こんな人がいるんだけど」と紹介されて、声をかけてみるといった形でした。 折戸氏: 高校時代にパソコン通信の「草の根BBS」【※4】に集まってきていたメンバーみたいな感じでしたね。 ※4……パソコン通信において、個人やグループが運営していた小規模のものを指す。 ──当時は「草の根BBS」にたどり着くまでに相当なハードルがありましたよね。そういった意味でも「濃いメンバー」が集まっていたことは想像できます。 下川氏: いま振り返って考えてみると、そうだったのかもしれません。僕のクラスだと40人中ふたりしかやっていませんでしたし、その中で趣味のあうメンバーとなるとさらに限られてきます。 でも、当時の自分たちはおもしろいから集まっていただけでした。将来、自分たちがゲーム業界で働けることも、音楽マンとして食べていけることもまったく想像していませんでしたね。 でも、それを振り返ってみると、当時集まっていた人たちが今でもこの業界で働いているパターンは多いですね。あのころの同人サークルはみんなすごかったんだと今になってあらためてそう思います。 折戸氏: たしかに。 下川氏: ナムコにいた細江慎治さんやPC版『サイレントメビウス』のBGMを担当した梶原正裕さんも同人CDを出されていました。そういった熱量のある人たちのところにコミュニティがありましたね。僕たちはその中で一番無名の下っ端集団みたいな感じでした(笑)。 折戸氏: そうそう。新参者だったもんね。 ## 多くの人にプレイされた『雫』だが、売れた本数としては多くなかった ──当時はPCの美少女ゲーム・ノベルゲームはマニアックなジャンルだったと思うのですが、なぜそのジャンルを選択されたんでしょう? 下川氏: ひとつには敷居の低さがありますね。コンシューマーゲームになってしまうと、どんなに小さいゲームでも数千万円からスタートというような世界なので、まだ資金も経験もない僕たちには到底無理でした。 そのうえで、当時のPCアダルトゲームは「限りなく同人とメジャーの線引きが緩い世界」というか、マーケットに流通さえしてしまえば、どんなに滅茶苦茶な作品でも出せる可能性があったので。 美少女ゲーム業界を選択したというよりは、そのとき自分たちが置かれていた状況で戦える環境が美少女ゲーム業界しかなかっただけということだと思います。 ──そこから『DR2ナイト雀鬼』、『Filsnown』、『雫』、『痕』と作品を作られていくわけですよね。「エロゲーだけど、エロ要素だけが売りではない」作品を作ろうと考えたのはなにかきっかけがあったんでしょうか。 下川氏: 単純に、会社に集まってくれたスタッフに恵まれていたんだと思います。シナリオ担当の髙橋のようにおもしろいストーリーを書ける人がいて、アドベンチャーゲームという枠組みの中で、「新しくて、ストーリーがおもしろい作品」を作りたいと考えていた。それに尽きます。 (画像はLeaf公式サイトより) ──そんななか、折戸さんは『雫』を最後にLeafを離れることになるわけですが、そこにはどういった経緯があったんでしょうか? 下川氏: 当時のことはすごく覚えてます。折戸はたくさん保険に入っていて「保険料が払えない」と言って辞めていったんですよ。 ──たくさん保険に……どういうことですか? 折戸氏: さっき高校卒業後に銀行系の会社に就職したといったじゃないですか。そこで「若いうちに(保険には)入っていた方がいい」と薦められて加入したものもありますし、保険料だけではなく、国民年金の支払いや家賃の支払いもありましたし。 1年ほどは高校時代にバイトをして買った機材を売ってなんとか生活していたのですが、それも限界にきてしまい、離れることになりました。そのあとは、2年くらい郵便局やゲームショップでバイトをしていましたね。 下川氏: 自分たちでゲームを作るより、アルバイトをした方が稼げたような時期でした。今では絶対にあかんことですが、昔は「タダでもいいから、ゲーム業界に入って曲を書かせてもらいたい」といった気持ちがあったとは思います。 若かったのもありますが、給料が安くてもとにかくその業界に入って仕事ができたらいいなという思いだったんですが、生活できない状況が続いて、限界がきて折戸は抜けていきました。 でも、そのあとバイトをしながら、単発で作曲の仕事もしていなかったっけ? 折戸氏: ああ、やってたね。ときどき単発で仕事を請けていて、その流れでネクストンさんに入ったんです。 ──Leafを抜けてアルバイトをしている時期も、ゲームの仕事をしたい気持ちはあったんですね。 折戸氏: そうですね、ありました。 ──それにしても、『雫』は大ブレイクした作品という印象があったので、そこで会社の状況が好転しなかったというのは驚きです。 下川氏: 『雫』がブレイクしたというのは事実なんですが、じつは数字の面で言うとあまり売れていないんです。 前作の『DR2ナイト雀鬼』や『Filsnown』よりは売れましたが、当時のエロゲーはコピーソフトが横行していました。たくさんの人にプレイはされたと思うんですが、そのほとんどがコピー品だったので……。 『雫』の次に出した『痕』は、『雫』の評判があったので、初動から売れたのですが、『雫』は売れた本数としてはそんなに多くないんです。 ──な、なんと……。 下川氏: ですので、『DR2ナイト雀鬼』から『雫』までは生活に困窮していました。 いまでもよく覚えていることなんですが、『DR2ナイト雀鬼』は当時の流通に2500本出荷したんです。「10パーセントルール」というものがあって、1年につき出荷本数の10パーセントまでしか返品できないという取り決めがあったんですが、毎年毎年ソフトが返ってくるんです。 返品されなくなった時点で計算してみたら、出荷した2500本中700本しか売れていなかったんですよ。 ──最終的に数えてみたら、売れた本数より返品された本数の方が多かったという。 下川氏: ただ、「10パーセントルール」のおかげで、それ以降の作品を作れていたという面もあるんです。あれだけの数を一度に返品されていたら、たぶん会社が潰れていたと思うので。そういう意味では感謝の気持ちがありますね。 ## 大きなヒットを記録した『ToHeart』。開発メンバーにも恵まれ、徐々にチームが大きくなっていった ──そんな苦しい状況を経て、次に発売される『ToHeart』が大ヒットしたわけですが、『雫』や『痕』がサスペンス調の作品だったのに対し、学園ラブコメというまったく真逆の作風になった経緯はどういったものだったんですか。 下川氏: 僕は「カウンターが好き」というか、期待されているものを180度裏切りたい気持ちがあるんです。『雫』『痕』と猟奇的なサスペンスを作ってきたところが、真っ向勝負で『ときメモ』に挑んだら、みんな驚かへん? と思ったんです。 ──美少女ゲーム業界を見渡してみても、いわゆる「日常系」のような概念が出てきたのって、『ToHeart』や『ONE 〜輝く季節へ〜』といった作品からのように思います。『ときメモ』にもキャラ同士の会話はありましたが、『ToHeart』はそれに輪をかけて日常シーンの描写に力を入れていますよね。 下川氏: それに関しては単純に、髙橋の作風だと思います。僕が彼に伝えたのは「『同級生』や『ときメモ』のような、青春っぽいもので勝負してみよう」というコンセプトの部分だけだったので。 (画像はLeaf公式サイトより) (画像はときめきメモリアルシリーズ ポータルサイトより) ──そういったゲーム内容の方針について、社内でテストプレイをして意見を交わしたりはしなかったんでしょうか。 下川氏: なかったですね。シナリオや音楽、プログラムなどが同時進行で組み上がっていって、納品日ギリギリの夜中2時にできあがったものを僕が静岡の工場まで車を走らせて納品しにいくようなことをしていたので。 それこそ、全体を把握していたのは、髙橋と水無月のふたりだったと思います。彼らには絶対的な才能があって、ふたりが作りたいものを作ったら当たるだろうと。そういう感覚でした。 僕はそのストーリーを盛り上げるサウンドを作っていればよかった。そういう意味でも人に恵まれていたと思いますね。 ──『ToHeart』といえば、当時としては珍しくボーカル入りの主題歌がついた作品でした。この発想はどこから生まれたのですか? 下川氏: 当時は、常になにか新しいことにチャレンジしたい時期だったんです。PCエンジンのゲームには主題歌がついている作品が出てきても美少女ゲームでは珍しかった。じゃあ「美少女ゲームにも歌をつけたいよね」という勢いで作りました。 ──『ToHeart』エンディング曲の『あたらしい予感』は、下川さんとしても初の「歌もの」だったわけですよね。ボーカル曲ならではの難しさや苦労はなかったのでしょうか? 下川氏: 折戸をはじめとした当時の音楽仲間の中で、技術的な能力は僕が一番低いんです。低い、イコールなにも考えていないというか、「自分の書いた曲にギターやドラムを入れてもらったらバンドサウンドになるんじゃないか」くらいの感覚でした。 折戸氏: 高校時代につるんでいたときから、行動力の強さは半端なかったですね。 下川氏: 行動力だけはあった気がする。それに僕は「めちゃくちゃ引きが強い」んですよ。先ほども言いましたが集まってくれたスタッフに恵まれているんです。 主題歌の『Brand-New Heart』とエンディングの『あたらしい予感』のボーカルを担当してくれたAKKOさんは、知り合いに紹介してもらいましたし、ギタリストもエンジニアも、みんな一発目に声をかけた人なんです。 僕自身が選んだわけじゃないんです。知り合いに声をかけて紹介してもらっていたら、いつの間にか完成していたんですよ。折戸をはじめ、Leafを立ち上げた時のメンバーも、高校時代の仲間が中心でしたからね。いい仲間に囲まれているから、僕がなにもしなくても良いものができていくんです。 ## 『鳥の詩』のボーカルはもともと違う人だった。偶然が重なってLiaさんが歌うことに ──『ToHeart』が出た当時は歌ものが苦手で、「嫌なことをしてくれたな」と思っていた折戸さんも、その後にKey作品で主題歌などを担当することになるわけですよね。 折戸氏: 『Kanon』の企画が立ち上がった段階で「主題歌は必要」という話になったのですが、当時の自分は歌ものに関するノウハウがまったくなかったので、人づてでI’veさんを紹介してもらったんです。 OP・EDの作曲は社内で書き上げ、編曲やボーカリストを探してもらう形でご協力いただきました。 当時は何もわからなくて、「これでいいのかな……? 歌える曲なのかな……?」といった気持ちで、ビクビクしながら曲を書いたのを覚えていますね。 (画像はKey公式サイトより) 下川氏: 学生時代から好きだったのはインスト曲だったもんね。僕は徳永英明さんや槇原敬之さんなどのJ-POPが好きだったので、真逆のタイプなんですよ。 折戸氏: そうそう。小室哲哉さんが好きだったので、TM NETWORKは聞いていましたが、それくらいでしたね。 下川氏: でも歌詞として聞いているわけじゃないんでしょ? メロディーとして聞いているというか。 折戸氏: 歌も楽器の一部みたいな感覚かな? 正直なところ、歌詞はなんでもよかったというか、「トータルとしての曲」というサウンド感で判断する感じでしたね。 インスト曲にもメロディアスなものはありますが、「人が歌う」ということを考えた時に、どういったメロディーラインにしたらいいかというのがわからなかったので、手探りでした。レンタルビデオ店に行って、当時流行っていた歌もののCDを借りて聞いていました。 ──手探りとおっしゃいますが、その後に制作された『鳥の詩』が大ヒット。『AIR』発売当時もそうですが、ニコニコ動画でも大きなブームになっていましたよね。 折戸氏: 自分としては、あの曲はもう僕の手を離れてひとり歩きしている曲だなと思っています。ファンの方がいろいろ拡散していただいて、カバーもたくさんあるので、把握しきれていないです。 コミュニティー系掲示板の類はほとんど見ないので、発売当時も『鳥の詩』の反響については自分は知りませんでした。知ったのは2、3年ほど経ってからでしたね。 (画像はKey公式サイトより) 下川氏:: 本当に完成度が高い曲だと思います。歌っているLiaさんの声もハマっているし。これってオーディションのようなこともしてないんでしょ? 折戸氏: それでいうと、じつは『鳥の詩』のボーカルはLiaさんじゃない方が歌う予定だったんだよね。でも、急遽キャンセルになってしまって。 その当時、ロサンゼルスのスタジオでレコーディングをすることは決まっていたんですが、そのスタジオでたまたま働いていたのがLiaさんだったんですよ。 ──ええっ⁉ 折戸氏: 現地のスタジオの人は日本語がわからないので、Liaさんが我々との間で通訳をしてくれていたんですが、やりとりの中で彼女が音大を卒業していて歌手を目指しているという話になって。デモテープを送ってもらったら、クオリティが高くてそれで……という流れでした。 ──『鳥の詩』の制作にそんな背景があったとは……。初めての歌ものの収録だったと思うのですが、レコーディングされた際に手応えのようなものはあったんでしょうか。 折戸氏: レコーディングには現地で立ち会っていたので、その場で「これはいけるな」という手応えは感じていました。 でも……自分は歌にあまり興味がない人間だったので、ああいったレコーディングの現場でのディレクションに対して苦手意識はありましたね。もう「お任せで歌ってください」と言いたくなるんです(笑)。 下川氏: 折戸に憧れているサウンドマンの人たちが聞いたらびっくりしますよ(笑)。 折戸氏: 今では何百回とレコーディングをこなしてきたのでそんなことはないですけど、当時は「ああ、明日は歌のレコーディングや……行きたくない」と思っていました(笑)。 下川氏: でも本当に良い曲だよね。一度聴いたら耳に残るじゃないですか。「当たるべくして生まれてきた曲」な感じもしますね。 ただ『鳥の詩』のヒットによって「それを超える曲を作る」といった面では、本人としても大変なところがあったんじゃないかな。 折戸氏: たしかにね。当時は「鳥の詩みたいな曲をお願いします」という依頼が多かったと思います。僕は社内の仕事だけでなく、外部からの仕事も請け負っているんですが、今でも依頼をいただく方のほとんどが『鳥の詩』を聞いているんですよ。 下川氏: 「あんな感じの曲を作ってください」という依頼はけっこうあるよね。 ──ちなみに『AIR』のシナリオ担当の麻枝 准さんからは、曲に対してのリクエストのようなものはあったんでしょうか。 折戸氏: うーん……。よく覚えていませんが、細かい指示はなかったと思います。あったとしても「疾走感のある曲」くらいだったんじゃないかなと。 下川氏: もし麻枝さんから細かい指示があったら、『鳥の詩』は生まれていないんじゃないですかね。あの曲は僕が高校時代から知っている折戸のサウンドのように感じました。 ## 下川氏が考える、アクアプラスとビジュアルアーツのサウンドの違い。ビジュアルアーツはトレンドを取り入れているが、アクアプラスはノスタルジーの色が濃い ──アクアプラス(Leaf)の楽曲もビジュアルアーツ(Key)の楽曲も、どちらも「泣ける楽曲」という点は共通していますが、作風の違いのようなものはある気がしています。 下川氏: 僕から見ると、Keyのサウンドは今の時代をちゃんと調べてトレンドも取り入れているように見えます。逆にうちはそういう変化はなく、ノスタルジックな曲調な気がしますね。 ──その違いって何に起因するものなんでしょうか? 下川氏: アクアプラスの全体的に統一感のあるノスタルジーは、おそらく僕の個性が出ているんだと思います。いま作っている曲に関しては、僕が全体的に監修しているので、「メロディアスだけど物語の邪魔にならない」といった要素をコントロールしようと思った時に、どうしても僕の好みに寄っていくんじゃないかなと。 折戸氏: ちょっと話がずれるんだけど、アクアプラスのサウンドの人たちが、外注の仕事をあまりしていないのにはなにか理由があるの? アニメの曲を作ったり、アーティストに曲を提供した話はあまり聞かないけど。 下川氏: とくにこだわりがあるわけじゃないけど、社内の仕事もパンパンだし、相変わらずいろいろやってるのよ、ボイスの音量調整とか。 折戸氏: あっ、それって専属の人がいるわけじゃないんだ。うちの場合も最初はサウンド担当の人間が作業してたけど、あまりにも膨大になってきて、収録関連の専属のスタッフを入れてるね。 下川氏: 僕らは手が早いわけでもないし、外部からの仕事を受けるだけの余力がない。僕の監修も入るから、1曲を作るのにかかるコストとそれで得られる報酬が釣り合わなくなってしまうのもあるかも。うちはもう、音楽も絵もストーリーも全部内部の人間で固定してるからね。 折戸氏: なるほど。うちは真逆ですね。いろいろと外の力を使いまくり。 下川氏: 主題歌も外の人にバンバン振るしね。似ているように見えて、やってることは全然違いますよね。 ──それでいうと、アクアプラスとビジュアルアーツ、それぞれが作品を作るときに大切にしているコアのようなものも違ってくるのでしょうか? 下川氏: アクアプラスでまず大切にしているのは「魅力的なキャラクターとストーリー」ですね。ストーリーを作るときにデザイナーもタッグになって進めていて、常にイラストとストーリーはセットで作っていくようにしています。 そのうえで、それらのポテンシャルを最大限盛り上げるために、サウンドやプログラム、CGがあるといった形です。 ──ビジュアルアーツ、あるいは折戸さんはどうですか? 折戸氏: そういった視点はプロデューサーが考えるレベルで、僕はいちサウンドマンなのであまりどうこう言えることではないんですが……でも、うちもまったく同じですね。 ストーリーとイラストが一番で、それに対して挿入された音楽が付加価値となればいいなと。だから大事にしているものは一緒なんでしょうね。 下川氏: そうそう。そこを仕切っている人間の個性が違うだけで、向いている方向は同じなんだと思います。 うちの場合はRPGの要素を入れてみたり、ゲーム的な要素が強い作品を作りたい人が多い気がしますね。Keyはどちらかというとアドベンチャーに力を入れているよね。 折戸氏: アドベンチャーに特化しすぎて逆にちょっと不安に感じるときはあるけどね。RPGとかを作れるんだったら作りたいと思いますもん。 ──おふたりとも「シナリオとキャラクターが大切で、それを音楽で盛り上げる」という考えかたなわけですよね。あえてお聞きしたいんですが、なぜゲームというメディアで作品を作りつづけているのでしょうか? すごく乱暴ですが、アニメでも同じことができるとも言えるのではないかなと。 折戸氏: それはやっぱり「ゲーム屋だから」ということに尽きると思いますね。我々はゲーム屋から始まったので、それが大きいと思います。 下川氏: そうですね。「血がゲーム屋だから」という理由でしかないのかな。 自分たちの作品がアニメになるのは嬉しいです。でも、自分たちにアニメを作るノウハウもないですし、アニメは「作ってもらうもの」であって、自分たちで作るものだという認識はないですね。 あと、やはり自分たちがゲームが好きだからというのもあると思います。10代のころにゲームで感動して、ゲームに没頭したという経験や憧れがあるから、それがずっと続いているんだと思います。 ## 7、8人の開発チームに、音楽を作るメンバーは3人。「Leaf」が美少女ゲームの音楽に力を入れた理由 ──そもそも論になってしまうのですが、おふたりが美少女ゲームを作るうえで「音楽に力を入れる」ことについてなにか必然性があったんでしょうか。 下川氏: 少なくともうちの場合は「僕が音楽好きだから」というのが大きいです。それに、僕としては「物語を盛り上げる音楽の力」というのはものすごく大きいと思っているんですよね。 ──たしかに。 下川氏: これは僕の経験なのですが、若いころに結婚式場でアルバイトをしていて、式の進行にあわせて照明を変えたり音楽を流したりする仕事をしていたんです。 自分でもいろいろ曲を選ぶんですが、おもしろいことに、何度も経験していくと「この曲は来場者のみんなが泣くな」や「この場面にこの曲はいまいちかな」というのがわかってくるんです。 シーンにあわせて、流れる曲によって「感動できる、できない」というのがあるというのが、そのときの体験で身に染みているんです。 ──そのシーンが感動するかどうかは、流れる音楽によって左右されるところが大きいと。 下川氏: その経験をもとに、とくにオープニングとエンディングの曲は、ゲーム作りでも相当意識して力を入れていました。オープニングでグッと心を掴んで、エンディングは「終わった感」に浸れるというか。 ──Leafはゲーム音楽が好きなメンバーが核となって立ち上げられたブランドですよね。当時の作品は「感動的な音楽を作りたくて、シナリオは後付けで考える」ような作り方をしていたのか、それともシナリオが先にあって、そこに音楽を当てはめていったのか……。どういった作りかたをされていたのか、気になるんです。 折戸氏: 当時は、やはりゲームを作るにあたっては企画やシナリオがありきで、それに合わせた音楽を作るという形でしたね。音楽が先にあって、それに合わせたゲームを作るようなことはしていなかったと思います。 下川氏: シナリオも音楽も、それぞれが自由に作ってたんじゃないかな。ゲームの企画が立ち上がって、「ビジュアルノベルを作ろう」となったら、サウンドチームは勝手にサウンドを作ってて。「『かまいたちの夜』とか『弟切草』のサウンドってかっこいいよな」みたいなことを話しながら。 「こういう音楽があるからストーリーをこうしてほしい」とか、反対に「こういうストーリーだからこういう音楽がほしい」といった要求はお互いになかったと思いますね。 折戸氏: 確かに。そういうのはなかった。 下川氏: 『ToHeart』ぐらいからは、シナリオと音楽が連携するケースも少し出てきましたが、それ以前の作品では、ストーリーはストーリー、グラフィックはグラフィックと、それぞれが自由に作って、それを後から組み合わせるような流れでした。 ──ほうほう。それぞれが自由に作って、整合性がとれたゲームが作れるものなんですね。 下川氏: たとえば『雫』だったら、「猟奇的で暗い雰囲気」みたいなコンセプトがあるわけじゃないですか。そのうえで、毎日オフィスで顔を突き合わせて話しながらゲームを作っているので、みんなが向いている方向性というのはだいたいわかるんですよね。 いま作っているストーリーのシーンを読んだら「こんな曲がハマるんだろうな」とか。向こうは向こうで、できあがった曲を聞いてインスパイアされることもあったと思うんですよね。同時にちょっとずつ、ちょっとずつできあがっていくわけですから。 折戸氏: 今の話を聞いていて、『雫』を作っていたとき、音楽がひと通り仕上がったあと、キャラクターのスクリプト入れの仕事をしていたことを思い出しました。 下川氏: みんながそれぞれ複数の仕事をやっていたよね。 折戸氏: そうそう。『Filsnown』のときなんかはマップも作っていたからね(笑)。音楽に限らず、ゲーム作りに関することならなんでもしていた気がします。 ──その当時の開発チームってどれくらいの人数だったんでしょうか? 下川氏: 『雫』のときは、7、8人くらいですね。でも曲を書く人はけっこういて、僕と折戸と石川の3人かな。 ──7、8人のチームに、音楽担当が3人もいたということですか? 下川氏: そうですね。そう考えるとだいぶ偏っていますが、それぞれが音楽の仕事だけしているわけではなくて、細かい雑用も手伝っていたので、それでも問題ないという感覚だったんです。 折戸氏: 開発室が「コ」の字の形になっていて、真ん中のパーティションをぐるっと囲むように座っていたよね。 ──ちなみに『雫』のときに7、8人だったチームは、『ToHeart』のときにはどれくらいになっていたんでしょう。 下川氏: 『ToHeart』のころにはだいぶ増えていましたね。たぶん、20人くらいになっていたと思います。『痕』以降一気に人が増えて、「入りたいです」と応募してくる人も増えていました。 ## 曲作りも、デバッグも、営業も。なんでもやってたからこそ「ゲームがどう作られているか」を学べた ──もともと自由に作っていた、それが大きく変わったのってどういうタイミングだったか覚えてらっしゃいますか? 下川氏: それで言うと、企画会議をするようになったのが分岐点なのかな……。 『うたわれるもの』くらいまでは、3、4人で「こんな作品作ろう!」と盛り上がった企画に対して、「グラフィックはこんな感じでお願いします」「曲もお願いします」と、スタッフの距離が近い環境でゲームを作っていました。 ただ、『ToHeart2』はアクアプラスの大阪チームと東京チームの共同開発だったため、スタッフ同士、物理的な距離がある中で制作していくことになります。そこで会議をして「こんな企画をしましょう」という話をすることになったんです。 ──具体的にどのあたりが変わったのでしょう? 下川氏: やはりチームの規模でしょうね。『こみっくパーティー』のときも『うたわれるもの』のときも、現場からあがってきた「こんな作品が作りたい」という熱量に対して「いいじゃん! おもしろそう!」と乗っかって形にしていくのは変わっていません。 ただ、組織が大きくなるにつれて、事前に仕様書をまとめる工程はどうしても必要になってきましたね。 (画像はLeaf公式サイトより) ──なるほど。現場主導で作品を作っていくのはいまでは難しいのでしょうか? 下川氏: いまは上場企業のグループ会社ですので、「企画、予算、人員」などを事前に決める必要があります。そういう意味で、昔に比べて計画的に動くようになっているのはありますね。 折戸氏: うちもまさにそうですね。 下川氏: 昔と比べて大変だよね?(笑) 折戸氏:: そうだね(笑)。 ──組織が大きくなってきたことでの苦労はやはりあると。Leaf設立から30年ですから、変わってくる部分も大きいですよね。 下川氏: 30年か……。やばいよ(笑)。 折戸氏: そりゃ歳を食うわけだ(笑)。 下川氏: 当時はゲームを作れて楽しいという気持ちだけで突っ走っていた気がしますね。 ただ、振り返ってみると、あの濃縮された時代から生まれたクリエイターさんたちがいまの時代を支えるような人たちになっているのも事実だと思うんです。世代ごとに大きな影響を及ぼした作品があって、それによってクリエイターが生まれる「ゾーン」のようなものがあるのかもしれません。 古代さんのおかげでゲーム音楽の楽しさを知った我々が、実際に今こうしてゲーム業界にいるわけですしね。 ──そういう意味だと、今のゲーム業界に携わっている方は、あの時代の美少女ゲームに触れている方は多いと思います。 下川氏: たしかに、30代、40代のクリエイターと話すと、LeafやKey作品をプレイしている人が相当多いですね。 思うに、表立って「美少女ゲームが好き」と公言しにくい時代があって、たまたま僕たちのころから表に出せるようになってきて、その時代の流れにうまく乗ることができたんだと思うんです。 それこそ、虚淵さんや奈須さんや丸戸さんのようなクリエイターが出てきたのも、自由な物語が書ける美少女ゲームから「エロ要素があろうがなかろうが、いいものはいい」と声高に言えるようになる時代の流れがあったと思いますね。 ──あのころの美少女ゲーム業界って、若くて経験が少なくても、行動力があれば最前線で戦うことができて、なおかつ市場規模としても一定の大きさがあるという「噛み合い」のようなものがあったとも思います。そういった熱量が乗っていることで、良い作品が生まれていったんじゃないでしょうか。 下川氏: そうですね、わかります。僕らがゲーム作りを始めたころって、曲も作れば、デバッグもして、営業もしていました。いろいろな仕事を通して「ゲームがどうやってできるか」を知ることができた世界だったんですよ。言い換えれば、「みんながプロデューサーになれる能力を養えた」というか。 対して、今のゲームは頭から何億という金額がかかって責任も重大ですし、チームの人員も少なくても数十人規模です。「恵まれているな」と思う一方、巨大化した組織の中で、その一部分だけを担当している人がプロデューサーになることって、なかなか難しいと思うんです。 だからそういう意味では、こじんまりはしているけど、ゲームがどう作られているかを学ぶことができたという、良い時代だったのかなとも思います。 ## 作曲家としてお互いのことをどう思っている? ──個別の楽曲についてのエピソードもお伺いしたいと思っているのですが、おふたりは、ご自身が作られた曲で「これはうまくいった」とか「この曲には思い入れがあるな」といった作品ってあるのでしょうか? 折戸氏: そうですね……。自分で「これは完璧だ」と思う曲はないですね。1曲に対して時間をかけようと思えばいくらでもかけてしまえる中で、「どこでストップをかけるか」といった問題があるので、なかなか難しいんです。 下川氏: 僕もないなあ……。ひとつ言えるのは、歌詞とメロディーが同時に思い浮かんだ曲のほうがユーザーの反応がいい気がしますね。「思い浮かぶ」と言っても、本当にサビの入り口だけといった一部分なんですが。 『うたわれるもの 散りゆく者への子守唄』エンディング曲の『キミガタメ』や『WHITE ALBUM』エンディング曲の『POWDER SNOW』はその例です。 お風呂に入っているときや、車を運転している時に思いついたものを急いでメモって作ったんですが、そういった曲の方が反響がいい気がします。反対に、考えを絞り出して作ったような曲はあまり良い評価がされていない気がします。 ──個人的に『WHITE ALBUM2』の『さよならのこと』がとくに好きで、いまでもよく聞いています。 下川氏: ありがとうございます。『さよならのこと』は『WHITE ALBUM2』を企画した丸戸(史明)さんに「下川さんが曲を書いてくれるなら、アニメ化の仕事を引き受けます」と言われて書いたんですよ。 「それはもう、引き受けますよ」ということで書いたんですが……。僕自身は「ヒット曲を作れる」なんて思っていなくて。どちらかというと「僕が選んだ曲をこのシーンに流す」といったことがうまくできれば、結果として印象に残る作品の一翼を担うことができると思っているんです。 (画像はLeaf公式サイトより) (画像はLeaf公式サイトより) ──ご自身が作曲されることにはあまりこだわりがないということですか? 下川氏: そうですね。僕がイメージしている曲ができるのであれば、曲を書くのは僕自身じゃなくても良いと思っています。自分で書く必要性はそこまでないと思うんですよね。ただ、そういった形で人から求められるから書いているようなところもあります。 当時から、折戸も他の仲間も本当に作曲がうまかったですしね。僕は彼らみたいに8小節ごとに転調するような曲は作れなかったですから。 ──……なんだか下川さんは、言葉の端々で謙遜されていらっしゃいますけど。折戸さんから見て、作曲家としての下川さんはどういう存在だったんですか? 折戸氏: 作曲家として……難しいですね。 下川氏: いや、たぶん間違いなく相手にしていないですよ(笑)。 一同: (笑)。 折戸氏: ときどき突拍子もないメロディーの運びかたをすることがあって。それって1曲の中の一瞬のことではあるんですけど、それがなかなか常人では思いつかない進み方だったりして、自分の中にガツッっと引っかかることがあるんですよね。 下川氏: それも「知識がないから自由だ」ということだと思うんですよ。これは音楽に限りませんが、技術が上がってくるにつれて「この手法はダサいな」と思うことって増えていきますよね。 でも、技術が低いとそれがない。何がダサいか理解できていないから、突拍子もないことができるんです。だから言ってしまえば、「素人の輝き」みたいなものですよね。自分の昔の曲を聞いたら「めちゃくちゃやりよるな」って思いますもん(笑)。 折戸氏: あるある。今ではちょっと考えられない曲が(笑)。 下川氏: 僕の曲だと『Feeling Heart』はイントロ部分のフレーズがすごくイケてないと思う。でも、それがおもしろいって思える瞬間があるんだよね。 折戸氏: そうそう。あるね。 ──折戸さんはご自身の曲で「めちゃくちゃやりよるな」と思うような曲ってあるんですか? 下川氏: 折戸はないんじゃないかなあ。学生のときからすでに、書いている曲の完成度が高くてキャッチーだったし。 折戸氏: そのあたりは気にしていたような気がするね。高校時代から一緒に音楽を作っていて、いまはアクアプラスでサウンドマンをしている石川というクリエイターがいるんですけど、音が外れたりぶつかっていたりすると彼が細かく指摘してくるんですよ。「はい、ここ外した」とか言って。 下川氏: 俺もめちゃくちゃ言われたわ(笑)。 折戸氏: そういった「チェックマン」が仲間にいたから、当時からあまり無茶はしないようにするブレーキがかかっていたかもしれないですね。それに、「ダサい」と思ったらかなり自分でボツにするタイプなので、そういった曲があったとしても世には出ていないと思います。 ──当時から折戸さんのスタイルは完成されていたということですよね。それはそれですごい。 下川氏: 折戸の曲は学生時代からあまり印象が変わらないです。I’veさんがアレンジを担当することで、編曲能力のようなものが飛躍的に上がった瞬間はあれど、曲自体の雰囲気は当時から変わらないですね。中上もその傾向があると思う。進化したのは石川かな。 折戸氏: ああ、そうだね。石川は端から見ても、すごくうまくなってるよね 下川氏: 当時いつも集まっていた4人の中では、中上と折戸はやっぱりうまかったですね。そのつぎに石川がいて、大きく間が開いて僕がいました。 僕は本当に素人だったけど、「勢いでやる人」みたいな感じでしたね。だから、会社を立ち上げたのとかも全部勢いですよね。「アホだからできた」という部分っていうのがあったんだと思います。 ## 折戸氏には弟子(21)がひとりいる。優秀すぎて教えることがない ──いろいろとインプットをされながら曲を作っていても、聞く人が聞けば「折戸さんらしい曲だ」となりますよね。そういった「その人らしさ」みたいなものって、音楽ではどういった要素になるんでしょうか? 折戸氏: メロディーのリズム感であったり、曲全体の雰囲気だったりになるんですかね? 下川氏: コード(和音)の運びとかもそうかな。それぞれ「こうすると気持ちいい」みたいなのって決まっているだろうから。 折戸氏: 確かにそれはあると思う。でも、それを多用しすぎると、自分の中では「毎回同じような曲書いてるわ」っていう気分になってくるんだよね……(笑)。ユーザーの方からは「これが折戸節だ」といい風に捉えてくれてるんだけど。 下川氏: 今はどれくらい書いているの? 折戸氏: うーん。でもかなり減ってるよ。歌だったら年に5、6曲くらいでBGMは10曲作るかどうか。 下川氏: ……すっげえ書いてる(笑)。 折戸氏: でも、本当に目の前の仕事が多すぎて、あんまりよくないとも思ってるんだよね。常に3つくらいのプロジェクトを抱えているので、どうしても作業的になってしまうところがでてしまうというか。自分の中でこんがらがってしまっているというのが最近ですね。 ──楽曲制作以外にはどのような仕事に携わられているんですか? 折戸氏: もうなんでもやりますよ。最近はイベントやCDなどゲーム以外のことも多いですし、外部との渉外から請求書の計算から、自分の部下に関しては育成や人事評価もします。 ──会社の部下としての育成とは別に、クリエイターとしての後進の育成のようなことはされていないんでしょうか。 折戸氏: じつは弟子がひとりいるんですが、優秀すぎて教えることがないんですよ。専門学校を卒業したばかりの若い子で、いま21歳なんですけど、とにかくモチベーションがすごくて、技術もめちゃくちゃ高い。全然自分より優秀なんですよ……(笑)。 ──いやいや(笑)。下川さんにはそういった弟子のような人はいないんですか? 下川氏: 僕はいないですね。僕はプロデューサーも担当しているので、言ってしまえば僕より技術力の高い人間を集めるのが仕事だと思うんです。 ──さらっと仰っていますが、自分より優秀な人を雇うって、言うのは簡単だけどなかなか難しいことなんじゃないですか? 下川氏: それはそうかもしれませんが、でもクリエイターの世界って、「才能はあるけど、それをどう活用したらいいかわからない」といった人たちってたくさんいるんです。 僕としては、そういう人たちが日の目を見ることができる場所に出してあげたいと思っているんです。だから、自分が作品を作って自分が輝く側に回るというよりは、自分は売り込む側に回ることで、そういったクリエイターたちを表舞台に出していく土壌を作るのが僕の仕事だと思いますね。 ──おふたりともお忙しそうですが、クリエイターの中には「インプット不足に陥ると、アウトプットができなくなる」といった方もいらっしゃるじゃないですか。そのあたりはどうされているのでしょうか。 折戸氏: ひたすらYouTubeでいろいろな曲を聞いています。最近は、ライターや企画者から「主題歌はこんなイメージで」という提案があったりするので、それに近い曲をいろいろ調べて聞いて、自分の中の方向性を固めていくような感じです。 下川氏: 僕の場合は映画ですね。映画を見るのが好きなので、BGMなどで「これはいいサウンドだな」と思ったらメモしています。 ## AI技術によって今後は「音楽を作る技術」より「音楽を選ぶセンス」が重要視されていくのではないか ──時代による変化の話をすると、下川さんや折戸さんの若いころは高価な機材を買ってパソコン通信で交流をしていたのが、現代ではボーカロイドのようなツールが浸透し、気軽に曲を投稿できる場も多く、活動しやすい環境ですよね。 折戸氏: そういった発表の場は自分たちの時代にはなかったんですよね。曲を発表するとなったら、同人CDを作って売るくらいしかなかった。「恵まれている」という表現が適切かはわかりませんが、気軽に曲を発表できるのは純粋にうらやましいですね。 ──いまの時代、気軽に発表できる一方、競争相手は全世界が相手になってきますよね。そういった現状についてはどう思われますか? 折戸氏: 競争が激しいほうが盛り上がっていいんじゃないですか。それによって「もっと再生回数を伸ばそう」というモチベーションに繋がるのであれば全然いいとおもいます。 下川氏: いまは人間だけでなく、AIによって曲を作れるようになってますよね。 ある種「技術的にうまいのは当たり前」の状況になってきて、これから先は「音楽を作る技術」より「音楽を選ぶセンス」が重要視されるようになってくるんじゃないでしょうか。 僕自身はアナログ派の人間なので、人が作ったものの方が好みですが……これに関しては、自問自答することもあるんです。 ──自問自答というのは? 下川氏: 僕はプロデューサーなので、スタッフに指示をして曲を作ってもらう側じゃないですか。 これってある意味、AIに指示をしているのと変わらないんじゃないかと思うことがあるんです。実際に作業をしているのは人間ですけど、僕の立場からしたら、自分自身の手で作っているわけじゃないですから。 「それが人でなくてはいけない理由」というのが自分の中でぼやけてしまうときがあって、この状況をどう捉えたらいいんだろうというのはすごく難しい問題だと思っています。 ──なるほど……。 下川氏: いまはまだ、大々的にAIを使うことに対して抵抗が大きいですよね。でもこれから先、どこかの会社がAIを駆使することで「大作ゲームを従来の5分の1の予算で作る」ことができてしまったら、この業界はこの先どうなってしまうんだろうと。折戸はどう思う? 折戸氏: うまく説明出来ないけど、AI技術に関しては、利用に対しての世の中の容認さというか受け入れ具合に、まだまだ乖離がありそうな感じはします。まだまだクリエイターがAIを使うというところには悪いイメージがあるから。デリケートな部分だし、難しい問題だと思う。 下川氏: でも、そういったところも含めて、僕らが20代のころのゲーム制作とはまったく別の世界になってきていますよね。制作に使うツールもそうですが、スペシャリスト化が進みすぎていて、手の中に収めて理解できる範疇を超えてきてしまっている。 僕たちの時代には「曲も書くし、プログラムも作る」といった人がいましたが、現代で同じような動きをするのは難しいです。 言いかたが難しいですが、僕らはゲーム制作における楽しい時代を過ごせたんだろうなと思います。自由度が高くて、ゲームで新しいことに挑戦できる余地がたくさんあった。ただ、歴史が長くなれば長くなるにつれ、その余白がどんどん埋められていくわけですから。いまのゲーム作りは本当に難しいと思います。 ──ゲーム自体のトレンドの変化もありますよね。今と昔ではユーザーに求められる体験は大きく違うでしょうし。 下川氏: そうですね。その意味でも、僕自身いつまでゲームのプロデューサーをできるのか? と思うことはあります。50代の人間が良し悪しの判断を下したものを、20代の子が遊んで楽しいのだろうかと。 僕はRPGのレベル上げが大好きなんですが、今の若い子にはウケにくいですよね。「タイパが悪すぎる」と言われてしまいます。 折戸氏: ゲームの遊びかたに対するスタンスも様変わりしてるよね。 僕らが子どものころは、テレビをつけて、ゲーム機を立ち上げて「さあ、遊ぶぞ!」という感じでしたけど、いまは移動時間や動画を見ながらスマホでながらプレイという遊びかたの方も少なくない。 下川氏: ゲームに限らず多くのコンテンツが無料で摂取できるわけですから、遊び始めてすぐおもしろさが感じられないと、すぐ切られてしまいます。 僕たちの子供時代って、1本のゲームをできるだけ長く遊びたい時代でしたよね。ところがいまは時間がない。プレイ時間が長いと敬遠されてしまうんですよ。 その最たる例がアニメや映画の倍速視聴でしょうね。要するに、早く見終わらないとその作品の話をみんなと語れなくなってしまうんです。作品を楽しむことじゃなくて、見終わること自体が目的になっている。ある種、大変な時代ですよね。 ## 世界に向けてゲームを届けられるSteam市場はウェルカムな気持ち ──美少女ゲーム市場は一時は縮小していったものの、Steamで遊べる作品が出てきたことなどで、日本のビジュアルノベルが世界で再評価されるような流れになってきていると思います。おふたりはこうした流れや、Steamという市場に関してはどう捉えられていますか? 折戸氏: Steamに関しては……審査が厳しいですよね(笑)。 一同: (笑)。 折戸氏: 聞いた話ですが、審査を担当する人によっても基準が変わってくるそうなので、なかなか難しいです。 下川氏: めっちゃわかる。日本の美少女キャラクターのイラストは幼く見えるようで、日本と世界の基準の違いを感じることがあります。 Steamではないのですが、『WHITE ALBUM2 ドリームコミュニケーション』というゲームを制作していた際の審査で「3Dキャラの踊るシーンで胸が揺れている」点について修正が必要になったんです。 修正するために、3Dモデルのボーン(骨組み)を外して再審査の依頼をしたら「まだ揺れている」と返ってきて。「いやいや、ボーンが入っていないんだから、揺れるわけがない」と(笑)。 ──仕組み的には揺れるはずがないのに(笑)。 下川氏: 仕組みを説明することで審査は通ったのですが、日本と世界の基準の違いによる難しさを痛感しました。 ただ、そういった難しさを踏まえても、Steam市場はウェルカムな気持ちですね。現在、日本のマーケットが縮小している中で、世界規模のSteamはプレイヤーの母数が多いですから。 折戸氏: 企画の段階から、やはり多言語化を視野に入れるようになってきてはいます。そのうえで、ゲームだけでなく、アニメやグッズ、ライブといったメディア展開も合わせて、息の長い作品として楽しんでもらえるようなものづくりをしないといけない。だから僕らがゲームを作り始めたころとは、かなり変わっていますよね。 ## 新生『ToHeart』制作の経緯は現代でも遊べるタイトルとして世に送りだしたかったから ──昔と今とではゲームの作りかたも、ユーザーの遊びかたも大きく変わっているとのことですが、そんななか『ToHeart』は28年越しに新たな作品として発売が発表されました。この狙いや経緯について教えていただけないでしょうか。 下川氏: 今作を作るに至った経緯としては、『ToHeart』というゲームの名前は知っていても、プレイしたことはない人が増えてきたというのがひとつですね。プレイできる環境も限られています。ですので、『ToHeart』を現代でも遊べるタイトルとして世に送りだしてあげたかったんです。 ──とはいえ、発売当初と現代では変わっていることも多いですよね。 下川氏: おっしゃる通り、原作は画面のアスペクト比からして「横4:縦3」ですから、当時と同じものを再現するわけにはいきません。 本作のディレクターかつ、『ToHeart2』のディレクターも務めた鷲見(努)と、「何を変えないで、何を変えるのか」について議論を重ねました。つまりは、変わらず届けたい「『ToHeart』の良さ」とは何なのだろうか、と。 ──ほうほう。その議論のなかでどのようなお話が? 下川氏: 「恋愛の疑似体験」というワードでした。「こういう学園生活っていいよね」とか「こういう生活がしてみたかった」とか、青春に寄り添った甘酸っぱさを疑似体験できることこそが、『ToHeart』の良さなんじゃないかと。そして、今作を制作するにあたって、その良さを主軸におこうと考えました。 新生『ToHeart』は原作と違い、3Dモデルを採用していますが、これも「恋愛の疑似体験」を重要視しての表現となっています。 たとえば、ヒロインと一緒に登校する中で「一緒に横を歩いて、お互いの顔を見ながら会話する」シーンであったり。教室で「ヒロインに近づいて声をかける」シーンであったり。原作の『ToHeart』では感じられなかった甘酸っぱい世界をより強調したいというのがコンセプトになっています。 ──3Dモデルの表現により「原作の甘酸っぱい青春の良さ」がより感じられるようになっているわけですね。ただ、ひと口に「甘酸っぱい青春」と言っても、当時と今ではユーザーがイメージするものに違いがあると思うのですが、そのあたりの調整はどうされたのでしょう。 下川氏: そこに関してはできるだけ変更は入れていません。とくに、シナリオや音楽、当時評価いただけたものに関しては極力いじらないようにしています。 ただ、あまりにも時事ネタが過ぎるものや、今の時代では表現が難しいものについては少し描写を変えたところもあります。 ──時代の変化というと、美少女ゲームの主人公の性格も当時と今とで変化した部分かと思います。昔はオラオラ系というか、ヒロインに面倒を見てもらう主人公が多かったのが、最近は草食男子、万能男子の属性が主流な印象です。そういった点はどうされたのでしょうか? 下川氏: 主人公の浩之(藤田浩之)に関しても、原作通りにしました。 じつはこれに関しても議論があって、あまりに激しいところは少し丸めようとも考えたんです。でも、そこをマイルドにしてしまったら『ToHeart』ではなくなってしまうんじゃないかと思ったんです。 スティーブン・スピルバーグ監督が、『E.T.』特別版を作った際に「過去作への改変をしないほうがよかった」という話をしていたのを聞いて、僕も「あの時代の雰囲気というものを感じられるコンテンツにするべきだった」という考えかたが大事だと思いました。 今の若い子たちに対して、「30年前の美少女ゲームって、こういうノリだったのか」というのをお届けするのは、逆に新作のゲームではできないことですよね。かなり悩みましたが、そういったポイントはできるだけそのまま残そうと考えました。 ## 会うのは20年ぶりだけどお互い昔から変わってない。高校時代の仲間がいまだ同じ業界で仕事をしているのは不思議な感じ ──最後になりますが、Leaf設立から30年ということで、これまでのクリエイター人生を振り返って、お互いにメッセージなどがあればお聞きしたいと思います。 下川氏: なんでしょうね……。率直に不思議な感じがしますね。高校時代に遊んでいたメンバーが、こうして今でも同じ業界で仕事をしていて。「お互い良い人生だな」と思います。 折戸氏: こうして会うのは20年ぶりくらいになるけど、「当時と変わってないな」と思いましたね(笑)。 下川氏: 折戸も高校時代からこんな感じだよね。ちょっと口数が増えたかもしれないけど。 折戸氏: 下川が饒舌すぎるから(笑)。僕は語彙力がないので、なかなかうまく答えられなかったところもありましたが、その点、下川の語りは本当にすごいなと思いますね。 下川氏: クリエイターとしてじゃなくて、喋りで今日まで生きてきたから(笑)。でも、振り返るとすごく良い学生時代だったと思います。みんなで毎週泊まって、カップヌードルを食べて。 折戸氏: 一緒にバイトもしたしね。 下川氏: したした。でも、学生時代に一緒に遊んでいた仲間が、憧れたゲーム業界でいまでも音楽を作り続けていることが、本当にすごいなと思います。 折戸氏: 30年以上続くって、すごいことだよね。 下川氏: スタッフにも恵まれて、うちのタイトルが好きなユーザーさんたちにもたくさん反応をもらえて。こんなに魅力的な仕事を30年間も続けてこられたというのが、本当に嬉しいですね。こんなに幸せなことってないと思います。 ──本日は長時間(3時間)にわたってお話をお聞かせいただきありがとうございます。そろそろお時間ということで……最後に今後の展望についてひと言ずついただけないでしょうか。 折戸氏: どう答えたら良いか返答に迷う質問も色々あり、過去いち大変だった対談だったかもしれません(笑)。お互い、面と向かってどんな事を考えてたのか、当時何を思っていたのかなど、この対談がなければ一生知る機会もなかったと思うので、そういう意味では面白かったと思います。 この先どこまで世の中の流れについていけるのか怪しいですが、応援してくれているファンの方々がいる限り、がんばっていきます。 下川氏: 昨年の30周年イベントで発表しました『ToHeart』、『うたわれるもの 白への道標』、『ジャスミン』、『project kizuna』等を製作中ですので、皆さん、応援よろしくお願いします! まずは、新しく生まれ変わった『ToHeart』を6月26日にお届けしますので、ぜひプレイしてお楽しみください。 3時間超という長い対談の中で、とくに印象深かった出来事が3つあった。 ひとつ目は、ふたりの音楽の原点に『イース』の古代祐三氏の存在があったことだ。高校時代には古代氏の曲を耳コピしたりアレンジしたり、ゲーム音楽の楽しさを知るきっかけとして同氏の名前をあげている。 そして、下川氏が「30代、40代のクリエイターと話すと、LeafやKey作品をプレイしている人が相当多い」と語るように、90年代の美少女ゲームをきっかけにゲーム業界を目指した人も多いと思う。系譜……というわけではないが、その繋がりが印象的であった。 個人的(編集担当)なエピソードで恐縮だが、筆者自身も大学時代に美少女ゲームに出会い、人生が変わった経験がある。美少女ゲームの魅力に夢中になった結果、卒業まで7年かかることになるのだが、その出会いがなければゲームメディアの編集者として働くことはなかっただろう。 ふたつ目は、当時の他ブランド、クリエイター、作品の動向よりも「自分たちの作品づくり」に打ち込んでいたことである。 取材前は、当時の話を「90年代美少女ゲーム界」というひとつの時代を振り返るにあたって、同じ時代をともに駆け抜けた他クリエイターたちとの関わりのお話が多く出てくると予想していた。 しかし、実際は「ゲームの曲を作れることが幸せ」で「仕事をしている意識はない」くらいに、作品作りに没頭していたというのだ。がむしゃらに働けるような時代性もあったとは思う。とはいえ、ひたすら目の前の作品に打ち込む姿勢が、熱狂を生み出す一因でもあったのだろう。 3つ目は、当たり前のことではあるのだが、30年前と現在でのゲーム開発の環境がまったくの別物になっていることだ。 Leaf設立は開発メンバーは7、8人で、全員が顔を突き合わせて話しながらゲームを作っていた。さらに、音楽担当だとしても、スクリプト入れやマップ作りなど、メンバー全員がゲーム作りに関することならなんでもしていたというのだ。 開発規模が大きくなった現代では「(企画、予算、人員を)昔に比べて計画的にうごくようになっている」とのことで、下川氏、折戸氏両社とも「昔と比べて大変」なところもあると明かしていた。 LeafとKey──。美少女ゲームの一時代を象徴する両ブランドにて、最前線を駆け抜けてきたおふたりが、どのようにゲームを、音楽を作ってきたのか。今回の対談では、これまであまり世に出ることはなかったエピソードが盛りだくさんだったように思う。 この記事をまとめるにあたって、あらためて『Feeling Heart』や『鳥の詩』を聞いていたら、久しぶりに作品をプレイしたくなった。ちょうどよく新生『ToHeart』は6月26日に発売するし、『AIR』はじめ多くの美少女ゲームはsteamで手軽に購入できる。 かつて美少女ゲームに青春を捧げた同志たちへ。久しぶりにあの“熱狂”に触れてみてはどうだろうか。