<101回目からのコミックマーケット>第2部 歴史をたどる③TRC、幕張メッセ、晴海(1986~95年) バブル景気による展示会増加のあおりで晴海の会場を借りられなくなったコミケは、1986年冬( C31 )から東京・平和島の東京流通センター(TRC)へと場所を移す。が、増え続ける参加者に対応しきれる広さではなく、苦肉の策として開催自体を2日間に増やして乗り切っていった。 ## ◆昭和から平成へ 「晴海をまた借りられたら、1日に戻すはずだったんだが…」 準備会の市川孝一共同代表が苦笑するように、88年夏( C34 )から再び晴海が使えるようになったものの、そのまま2日間開催が常態化。サークルの申込数が1万を超えるまでに膨れ上がっていたからだ。 昭和天皇が崩御して元号が平成となり、「漫画の神様」手塚治虫さんが亡くなるなど大きな時代の変わり目となった89年、日本中を 震撼 ( しんかん ) させた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件がコミケにも影響を及ぼす。 ## ◆事件の「思わぬ副作用」 夏コミ( C36 )直前、宮崎勤元死刑囚=当時(26)=が逮捕され、コミケへの参加経験があったことや部屋からアニメや特撮を含む大量のビデオが見つかったことなどが報道されたのだ。アニメや漫画のファンを指す「オタク」への否定的な意味合いが強まり、事件と結び付けて犯罪者予備軍のようにたたく「オタクバッシング」が過熱。コミケ自体も批判の対象とされた。 「オタク」に否定的な内容が目立った当時の新聞や雑誌の記事 C36 にはマスコミが殺到。色眼鏡で見られることもあったが、取材対応に追われた準備会が広報体制を整えるきっかけに。さらに「思わぬ副作用も生じた」と準備会広報の里見直紀さん。テレビのニュースなどで広く報道されたことが、それまでコミケの存在を知らなかった地方のファンにも「東京で漫画の大イベントがあるらしい」との周知になり、さらに参加者が増える要因となったという。 ## ◆コミケの影響は地方にも 当時は、車田正美さん作の漫画でアニメ化もされた 『 聖闘士星矢 ( セイントセイヤ ) 』 やテレビアニメ 『 鎧伝 ( よろいでん ) サムライトルーパー』 など、美少年キャラが活躍する作品が女性に大ヒット。同人誌の制作形態がグループから個人へと変わっていき、同人作家によるアンソロジー本が商業出版されることも。コミケの認知度が高まった結果、地方でも中規模の同人誌即売会が開かれていく。 世間の偏見という逆風の中、同人文化は裾野の広がりを見せていった。