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乡下宅为何去秋叶原买媒体

作者从乡下宅的经历出发,讲述在本地难以稳定买到动画、游戏和相关媒体时,为什么只能把秋叶原当作集中采购地,呈现出九十年代至零零年代御宅消费的空间不均衡。

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这份资料在讲什么

这篇资料很适合和秋叶原回忆、地方放送差异一起互相支撑。它把“去秋叶原买东西”从一种爱好者朝圣,重新解释成很多地方宅不得不采取的补给策略。

编者说明

这部分保留站内整理说明,帮助你判断这份资料该如何进入主稿、笔记和后续归档链路。

正文阅读

参考资料整理完成后,会在这里按段展示原文、对照翻译和编者备注。 视频重点 会标出和视频主稿直接相关的段落。

地方宅不是不想本地解决,而是根本拿不到

视频重点
原文

オタクメディアにアクセスするチャンスにしたって都会と田舎には格差が残存しているので、「田舎じゃ手に入らないコンテンツを首都圏・大阪・名古屋などで漁る」、という図式は地方オタの間には根強く残っていると思う。一田舎者という立場からみると、首都圏コンテンツ供給量・人材供給はやはり圧倒的だ。

对照翻译

作者强调,就算已经进入网络时代,都市和乡下在御宅媒体获取机会上的差距依然存在,于是“去首都圈、大阪、名古屋捞本地拿不到的内容”这套逻辑仍牢牢存在于地方宅的生活里。站在一个乡下人的角度看,首都圈无论是内容供应还是相关人群密度,压倒性优势都很难否认。

编者备注:这段非常适合直接给主稿下判断,说明“去秋叶原买东西”首先是供给差带来的现实反应。

动画分发差异会直接变成观看方式差异

视频重点
原文

テレビ千葉やテレビ神奈川は勿論入らない。テレビ東京すら入ってこないので、ケーブルテレビを導入した家でなければ視聴できない作品がある。盛り上がりをみせた「ハルヒ」も、全話Youtubeで閲覧せざるを得なかった。

对照翻译

在作者那里,TV 千叶和 TV 神奈川当然收不到,连东京电视台都进不来,所以一些作品如果家里没装有线电视就根本看不到。连当年很热的《凉宫春日》都只能被迫在 YouTube 上补完。

编者备注:这块和地方放送那几页可以直接互链,形成“制度解释 + 个人体感”的对照。

游戏与黄油的难点不在新作,而在中古与临时起意

视频重点
原文

洋ゲーやPCゲームも、ネットを経由して手に入るものは手に入るようになったので、「都会じゃなきゃアレが無い」という事態は回避しやすくなった。とはいえ、中古ソフトは田舎じゃ全然駄目。セガサターンや、プレステのなかでもオタク受けしそうなソフトの入手など困難をきわめる。エロゲー分野も、事前に情報を察知して注文する分には問題無いものの、そうでなければ敷居は高い。

对照翻译

作者并不是说乡下完全买不到游戏,而是指出真正麻烦的,是那些不能靠“提前查好然后下单”解决的东西。网络普及后,新品和部分 PC 游戏还能设法获得,但中古软件依旧惨烈,像土星、PS 上偏宅向的软件更是难找;黄油也是一样,提前掌握情报去预订还行,临时想买、想淘,就几乎没有本地空间。

编者备注:这段很适合支撑“地方消费的难点在于失去逛店、临时发现和二手流通”。

所谓“首都圈朝圣”,很多时候只是最低限度补给

视频重点
原文

田舎の一オタクのオタ的生活の実感として、首都圏のオタクアメニティはまだまだ垂涎モノだし、そうである限りは私は秋葉原やコミケに遠征し続けざるを得ないだろう。正直、秋葉原や池袋を「オタク文化の聖地」扱いする旬は過ぎていると思うが、それでも、田舎のオタクにとっては首都圏の各オタエリアはすごく重宝する。

对照翻译

作者最后说得很直白:从一个乡下宅的实际生活感受出发,首都圈的御宅便利度仍然让人垂涎,只要这种差距存在,他就不得不继续远征秋叶原和 Comiket。哪怕“圣地”这种说法已经有点过时,对地方宅来说,那些区域依然是非常重要的补给点。

编者备注:这段适合放在主稿里修正“朝圣”这个词,把它从浪漫叙事拉回日常生存策略。

站内摘录

这是从站内归档文件提取出的文字内容,适合先浏览、先定位,再逐步补成完整正文。

ARTIFACT ―人工事実― : メディア経験主義のオタク、現場主義のサブカル−アキバにオタクを代表させることはオタクを現場主義にさせてしまうだろう−を読んでいたら、
都会のオタクと田舎のオタク - シロクマの屑籠を思い出さずにはいられなかった。
田舎のオタクにとって、現場中心のサブカル的スタンスか(オタな)メディア経験主義かを気にしている余裕なんて無いもんなぁ。

秋葉原・池袋・中野・立川をオタクの「聖地」と呼び、そこばかりに目をやることはオタク文化圏の狭小化を招く、という指摘は、オタク文化擁護という視点からみた時、十分心配に足るものに違いない。「ホットスポットで何を体験するか」の現場主義を軸とした(いかにもサブカルチャー的な)優越感ゲームに囚われるあまり、地方土着のオタク文化・オタク趣味人・コンテンツを斬って捨てるのはやはり勿体無い。「オタク文化に関する評論を行う人や、オタク文化を紹介する人は、そこの所を意識しながらやったほうが良いんじゃないの?」、という指摘は、とてもまっとうで健康的なものだと思う。

でも、メディア経験主義のオタク達が首都圏のほうをみないで田舎に籠もっていられるかと言ったら、まだまだそんな事は無いと思う。オタクメディアにアクセスするチャンスにしたって都会と田舎には格差が残存しているので、「田舎じゃ手に入らないコンテンツを首都圏・大阪・名古屋などで漁る」、という図式は地方オタの間には根強く残っていると思う。一田舎者という立場からみると、(秋葉原やコミケなどを中心的集積地とした)首都圏コンテンツ供給量・人材供給はやはり圧倒的だ。少なくとも人口数万人の田舎でオタクをやっている私などはそういう印象を拭えない。私が住んでいる街では、「メディア経験主義」のオタクと言えども、コンテンツを揃えようと思ったら結局県庁所在地では間に合わず、東京(や大洲や大阪日本橋)に出ざるを得ない。オタクの共同幻想以前の問題として、田舎に暮らすオタク趣味愛好家にとっては、メディア経験主義すら「中央への拝跪」を通してしか成立し難い。幾らネットやAmazonが普及したとて、首都圏に目を向けずにオタクライフを続けるのはかなり難しく、田舎者のくせに、否、田舎者だからこそ、私は首都圏でオタクな買い物をせずにはいられない(=首都圏のオタク文化に依存せずにはいられない)日々を続けている。

【田舎に住む一オタクの、メディア経験難度】

ぬるオタとはいえ、私は私なりに(シューティングを核とした)各オタク趣味を愛好しているわけだけど、中央−地方の格差はオタクコンテンツ摂取にあたって大きな壁として体感される*1。この壁は、突破不可能なものではないにせよ、都会のオタクならば比較的簡単にアクセスできるであろう各種オタクメディアを、若干手の届きにくいものにしている(または、高コストにしていると)。参考までに、小地方都市に住む私のオタクメディア経験の実際の面倒くささを書いてみる。

・アニメ
まずアニメ。テレビ千葉やテレビ神奈川は勿論入らない。テレビ東京すら入ってこないので、ケーブルテレビを導入した家でなければ視聴できない作品がある。盛り上がりをみせた「ハルヒ」も、全話Youtubeで閲覧せざるを得なかった。とはいえ、Youtubeの普及もあるし、アニメ専攻のオタならケーブルテレビを導入すれば事足りるわけだから、アニメ分野は比較的格差が小さいとは言えそう。

・コミックやラノベ
Amazonの普及によって、田舎でコミック単行本を手に入れる利便性は劇的に改善した。数十キロ離れた県庁所在地の書店に行っても「あれがない!」なんて事は今でもザラだが、ネット通販の普及によって問題は大幅に解決した。書店をぶらついてめぼしい品を購入する贅沢こそ無いものの、田舎暮らしでもコミックやラノベへのアクセスは大幅に向上したと思う。また、漫画喫茶が国道沿いにポコポコ建ったのもささやかな喜び。

・コンシューマゲーム
DSなどは田舎のゲーム屋でも入手可能なので、コンシューマゲーム機で困ることはあまり無い。洋ゲーやPCゲームも、ネットを経由して手に入るものは手に入るようになったので、「都会じゃなきゃアレが無い」という事態は回避しやすくなった。とはいえ、中古ソフトは田舎じゃ全然駄目。ファミコンカセットやドラクエ・FFなどは幾らでもあるが、セガサターンや、プレステのなかでもオタク受けしそうなソフトの入手など困難をきわめる。「ZANAC×ZANAC」や「ナムコクラシック」などは東京で入手しなければならなかった。ヤフオクで引っ掛けられる品物もあるにせよ、店頭レベルでも結構な品揃えの都会を羨ましいと思うことが多い。

・エロゲー分野
事前に情報を察知して注文する分には問題無いものの、そうでなければ敷居は高い。また、田舎のオタク趣味愛好家のかなりの割合がパラサイトシングルであり、ゆうパックや宅急便でエロゲーを入手するしかない人は店頭購入ではあり得ない「気まずいリスク」を負わなければならない点にも着目。

都会と違って、エロゲー中古市場は狭く、品揃えが少ない。ちょっとニッチな佳作になると、中古市場で購入するのは殆ど無理。新作に関しても、半径100km内にエロゲー屋が一軒しかないような田舎地方では、事前に覚悟を決めて注文しないと買いそびれる確率が高くなるので、「勇気を振り絞って予約するか、または羞恥心を放り出して通販するしかない」。(または、違法性の高い手段に訴えてソフトをダウンロードするしかない)

・シューティングゲーム
シューティングゲームのようにニッチな分野になると、田舎と都会の格差が大きくなる。首都圏にはどこの街にもゲーセンがそれなりにあって、新作シューティングぐらいなら比較的どこでもプレイ出来るが、田舎はそうもいかない。「斑鳩」「式神の城3」などが発売されても、入荷した一番近いゲーセンが70km以上離れていて、片道一時間以上の道のりを毎週通うなんてよくある話だ。そうでなくても、一番近いゲーセンまで車で30分かかるので、「通勤の帰りにちょっと」なんてあり得ない。

・同人分野(この場合は同人ソフト)
「地方の即売会があるからいいじゃない」とのたまう都会人がいるかもしれないが、例えば「ひぐらし」「フランスパン」「東方」関連の商品が欲しくなった田舎のオタクは、結局首都圏にアクセスせざるを得ない。折角それらの良質パロディやflashをネットで拾ってきても、結局原作に触れなければ面白さが理解できないっていうのもあるし。このため、地方に住むオタクでこうした分野に触れたいと思う人は、東京に直接乗り込むか、首都圏の知人に送ってもらうしかない。同人分野の良品というやつは、一定期間が過ぎるとコンテンツ入手が著しく困難になってしまう厄介さを孕んでいるわけだが、情報収集などの面で嗅覚の疎い地方オタクは「ブームがピークを過ぎて、コンテンツ入手困難になった頃に気づいて絶望する」リスクが高い。私はあまり嗅覚が良くない田舎オタなので、こうした同人作品のゲットに失敗することも多かった。このため、最近では「最低限の拾い残しを防ぐために」首都圏の同人屋を定期巡回するようにして、ネットの噂話と店頭ディスプレイとを照合するように努めざるを得ない。

買うにしても、見るにしても、知るにしても、田舎のオタクが首都圏の重力から逃れることはきわめて困難のように思えるし、だからますます首都圏に重力が集中する予感がする。コンテンツの普及格差が、地方と首都圏の間にある限り。

【消費スタンスなんて言ってる場合じゃないんです!必死に都会を拝むんです!】

そんなこんなで、「オタクメディアそのものの経験を問うオタク的立場」に限定しても、田舎と地方には大きな較差が存在していると思うし、とりわけ幾つかのオタクメディア(アーケード、同人、アニメ、などなど)を専攻する地方オタの場合、首都圏にアンテナが向いていないとどうにもならないんじゃないかと思う。*2。オタクメディア摂取を巡る地域間格差は、ネット情報やネット通販、Youtubeなどの普及によって是正された部分もあるが、かつてファミコンカセットが全国一律に出回ったような一様さには到達していない。むしろ、ネットをはじめとする情報網の広がりにメディアの普及状況がついていっていなかったり(例:同人分野)、蛸壺化しすぎて田舎では商売にならずにメディアがむしろ撤退していたりする分野(例:アーケードゲーム分野)も見受けられるわけで、結局首都圏に乗り込むか首都圏のオタクとのパイプを維持しなければオタクメディアそのものにアクセス出来ない事態はまだまだ続くんじゃないかなと思う。

田舎の一オタクのオタ的生活の実感として、首都圏のオタクアメニティはまだまだ垂涎モノだし、そうである限りは私は秋葉原やコミケに遠征し続けざるを得ないだろう。正直、秋葉原や池袋を「オタク文化の聖地」扱いする旬は過ぎていると思うが、それでも、田舎のオタクにとっては首都圏の各オタエリアはすごく重宝する。私はサブカル的な経験主義*3に僻みを感じる田舎オタだが、田舎には欲しいオタクコンテンツが十分にデリバリーされないので、結果として首都圏買出しに依存したオタクメディア消費を続けるのだろう。こうした「メディア経験主義とはいえ、いつも首都圏の定番エリアばかり狙って買い物する」という構図は、(サブカル的現場主義の有無にかかわらず)地方オタク文化の独自性・多様性を斬り捨てているような気はする、結果として。だが、そうしなければ「ひぐらし」すら手に入らないかもしれない田舎者としては、自分のオタクとしての欲求を当然優先させざるを得ない。たとい、それがマクロレベルで地方オタク文化の衰退に拍車をかけるとしても。

*1:参考:都会のオタクと田舎のオタク - シロクマの屑籠

*2:ちなみに、matakimika@d.hatenaの記事にこうした視点があまり登場しない要因は、1.頁作さんが現在都会暮らしで、2.なおかつコンシューマゲーム機や洋ゲー分野に強いオタクさんだから と勝手に想像していたら、→「おれがあまり鬱屈しない理由は、恵まれた環境を獲得したからでなく「その時点で手の届く範囲のものを愛好する」というスタンスでやってるからだと思います(≒興味とはまず自分と関係のあるものに向くものである的)」と回答を頂きました。thx!

*3:そこに秘められた優越感ゲーム