这份资料在讲什么
这份资料很适合用来写“全国同步想象其实并不存在”。对很多地方孩子来说,东京电视台不是一个默认能看到的频道,而是一整套被别人提前拥有的文化时间。
编者说明
这部分保留站内整理说明,帮助你判断这份资料该如何进入主稿、笔记和后续归档链路。
正文阅读
参考资料整理完成后,会在这里按段展示原文、对照翻译和编者备注。 视频重点 会标出和视频主稿直接相关的段落。
“收不到东京电视台”本身,就会让人意识到自己活在文化边缘
视频重点「自分はポケモンが映らない地域にいる」ということが 自分が凄く田舎にいるのだ、と感じさせられた。 自分のいる世界は社会の端っこなんだと。
这篇回忆最重要的一点,是它把“频道收不到”写成一种很早就会内化的空间感。作者说,当意识到自己身处一个连《宝可梦》都播不到的地区时,那种感受不是单纯错过一部动画,而是第一次强烈感觉到自己活在社会和文化时间的边缘。
编者备注:这段特别适合写“地域差为什么会变成身份感的一部分”,而不只是技术条件差。
即便能靠 BS 补看,学校里的共同话题仍然已经错开了
视频重点実はBSでみれば、2週遅れくらいで放送されているNARUTO等が見れたが、 各家庭が等しくBSを見れる環境ではないので、放送されていないNARUTOの話を 学校でするのは憚られた。
作者也提到,像《火影忍者》之类其实还能通过 BS 晚两周左右补看,但问题在于,不是每个家庭都有同样的设备条件。于是作品即便存在“补看通道”,在学校里也很难真正成为所有人共享的话题。
编者备注:这一段很适合补“延迟观看并不等于同步参与”,能把地域断层说得更具体。
为了补足动画饥饿感,地方观众会把能看的动画几乎全都吞进去
だから、兵庫県の阪神地域を除く人間はテレ東以外のアニメを 体いっぱいに享受する。 NHKのおじゃる丸や忍たま乱太郎、はなカッパまで 見ごたえがライトなものでもアニメ欲を満たすために アニメというジャンルの ものはひたすら体に取り込むのである。
这篇文章并不是只写“缺什么”,还写了“因此会怎样去看”。因为收不到东京电视台,作者那一带的孩子会把能接触到的非东电动画几乎全都吞进去,连 NHK 上那些更轻、更日常的作品也会被认真吸收,用来填补持续存在的动画饥饿感。
编者备注:这块很适合说明资源稀缺如何反过来塑造观看口味和作品经验。
没有硬盘录像和补档时代时,能否录下来几乎决定作品能不能进入生活
视频重点まだDVDのハードディスク録画が主流でない時期にVHSのテープをセットして 毎週録画していた。 それだけ俺たちはアニメに餓えていた。 当時You Tubeが天下でもなく見逃し配信もなかったから、これを逃せば 母親が3ヶ月に1回連れて行ってくれるレンタルビデオ屋さん(4本まで貸出可) で借りるしか無いのである。
在那个还没有硬盘录像、没有随时补档、没有流媒体的阶段,VHS 录不录,几乎就决定了一部作品能不能真正进入日常。作者写得很直接:如果这次播出错过了,那就只能等很久以后去租录像带补,甚至未必补得到。
编者备注:这段很适合和“地方动画观看环境回忆”那页互相链接,形成设备层和体感层的双证据。
站内摘录
这是从站内归档文件提取出的文字内容,适合先浏览、先定位,再逐步补成完整正文。
僕が住む兵庫県はテレビ東京系列が地上波で映らない悲しい地域だ。 テレ東系列では、人気のアニメが多く放映されていた。 ポケモン、NARUTO、BLEACH、ケロロ軍曹などなど・・。 実はBSでみれば、2週遅れくらいで放送されているNARUTO等が見れたが、 各家庭が等しくBSを見れる環境ではないので、放送されていないNARUTOの話を 学校でするのは憚られた。 私にとってBSで地上波では放送されないアニメを見ることは隠れた趣味だった。 だから、兵庫県の阪神地域を除く人間はテレ東以外のアニメを 体いっぱいに享受する。 NHKのおじゃる丸や忍たま乱太郎、はなカッパまで 見ごたえがライトなものでもアニメ欲を満たすために アニメというジャンルの ものはひたすら体に取り込むのである。 当時 BLEACH(ブリーチ)やNARUTO(ナルト)といったジャンプを代表する漫画は テレ東が放映権をゲットすることが多かった。 だからジャンプ系のアニメが地上波で出たときは身が震えた。 ボボボーボ・ボーボボという漫画をご存知だろうか。 王道漫画ではないのだが、やはりジャンプは嬉しい。 主人公ボーボボは鼻毛真剣奥義という、鋼鉄の如く強い鼻毛を振り回す技を使い、 毛狩り隊という一般人を迫害する悪の組織を倒していくのである。 なんか説明して身の毛がよだちました。 このアニメを僕たちは毎土曜19時からテレビにかじりついて見ていた。 それにしても、当時のフジテレビのイケイケな感じ凄いな。 あれをゴールデンで放送しちゃう感じ。でも、斬新。 ボーボボ、クレヨンしんちゃん、めちゃイケの流れをパスすることは 小学生のボクらには考えれなかった。 そして案の定吹き上がってきた教育上よろしくないというバッシングに屈し、 ボボボーボ・ボーボボは日曜朝4時半というまじでだれが見るねんという時間に 迫害されることとなるのである。 しかし、我らは屈さなかった。 まだDVDのハードディスク録画が主流でない時期にVHSのテープをセットして 毎週録画していた。 それだけ俺たちはアニメに餓えていた。 当時You Tubeが天下でもなく見逃し配信もなかったから、これを逃せば 母親が3ヶ月に1回連れて行ってくれるレンタルビデオ屋さん(4本まで貸出可) で借りるしか無いのである。 だから録画をしないときのテレビを見る時の集中力っていったらなかった。 これを見逃せば、もう二度と会えない(見れない)かもしれない。 僕らは一期一会の意味をここでいちばん強く感じていた。 例えばネタ番組を見ても、次の日に学校で誰かがそのネタのモノマネをするから そのノリについていけるように絶対覚えておきたかった。 あわよくば、クラスの皆を笑わせることが出来る。 昨日のテレビ番組の形態模写の能力、記憶力は小学生が クラスの人気者になるための最重要能力だったように思える。 話を戻すとテレ東系列が映らない、つまり 「自分はポケモンが映らない地域にいる」ということが 自分が凄く田舎にいるのだ、と感じさせられた。 自分のいる世界は社会の端っこなんだと。 ここから私は強烈な都会コンプレックスを幼いながらに得ることとなる。(笑) でも、テレビでポケモンを見ないからできたこともあると思う。 ゲームでポケモンをするときの想像力は鬼気迫るものがあったし、 アニメに引っ張られず、ゲームの内容自体をちゃんと享受している感覚があった。 あとはNHKのアニメたちである。 コラボのおもちゃのCMがつくような商業目的のアニメたちとは一線を画し、 純粋に話の内容について考えながら見ることができた。 そして教育テレビだけあって、あまり突飛な話は少ない。 ここで物語の基本形を体に染み込ませることが出来て、 これ以降の物語経験が豊かになったような気がする。 ここまで書いて「日常」っていうアニメの 常識を裏切り続ける話型を思い出したのだが、見ないふり。 だらだらと書いてきて、まだ書けそうだけど、 今日はここで筆を置きます。 最後に一言。 ## まじでおじゃる丸大好き。